・・・そう、あれはもう何年前のことだったか───
俺はかつて、ルーンミッドガッツの首都、プロンテラを拠点として活動していたプリーストだった。
当時の俺は志高く、アークビショップを目指して日々研鑽を積んでいた。
だが、俺の故郷は決して栄えている地域ではない辺境。教育機関と呼べるものも存在しなかった。自分なりに勉学に励んだものの、一言で言えば学が無かった。信仰は人一倍あるつもりだったが、同期が不死を言葉だけで消し去るのを見て唖然としたものだ。勿論、俺は不死をメイスで叩いて倒し、同期に唖然とされたわけだが。
詰まるところ、自分に限界を感じていたのだ。努力が認められてプリーストにはなれたが、このまま俗に言う「転生」と呼ばれる儀式を受けることはできないだろう。増して、アークビショップなど・・・
悩みが尽きない中、プロンテラの整った石畳を歩いていると、ふと視界に入るものがあった。
冒険者たちの露店や、象徴の一つとも言える噴水といった喧騒からやや離れた裏通り。まだ明るいというのに、酒や肉の匂い、そして大きな笑い声が漏れていた。
酒場。故郷ではよく行っていたものだが、この道に入ってから、とんと足を運ばなくなった場所だ。あんな何もない故郷にもあったのだ。プロンテラに酒場が無いわけがない。だが、あの時の俺にとって、酒場はなんだか信じられないものに見えた。
信仰が否定する世俗的な喧騒。信仰に身を窶してきた一方で、徐々に俺は信仰が何なのか分からなくなってきていた。
──夜。
俺はプリーストの衣装を脱ぎ、故郷から出てきた時の服装に着替えた。既に眠りについた同僚や神父を起こさぬように大聖堂管轄の宿舎から抜け出した。
俗世を知ることで、信仰を取り戻すこともあるのではないか。俺が自分にしていた言い訳はそうだった。無論、後ろめたいことがあるから皆には内緒で来ている訳で、そう、ガス抜きに来たのだ。
夜も酒場は煌々としており、相変わらず外まで声が聞こえている。プロンテラの建物はどれも似たような作りだが、この建物だけは間違えそうにない。
日頃の悩みと、初めて入る店に対する緊張と、うしろめたさと、様々な負の感情が綯い交ぜになっていたが、俺の足は酒場にまっすぐ向かっていた。
丁度ドアを開けようとすると、中から出てきた一団がいた。恐らく、この街の兵士達だ。こちらの格好を見ると、興味なさげに元の談笑を再開し、暗がりの街へ消えていく。姿も見えなくなったころ、遠くから俺の故郷を揶揄する言葉と、笑う声が聞こえてきた。
そう、プロンテラは地方の出の者に厳しい。あの兵士達は、酒が入った状態であるにも関わらず、きちんと俺に対する配慮をしただけマシな方だ。結果的に入り口に立ったまま盗み聞きをしたのは俺の方だろう。
久々に触れたものが多すぎて、感情や判断が麻痺してきているのを感じたが、酒場に入った。こちらに目を遣る者はおらず、皆、自分達の話で談笑している。空いているのは・・・カウンター席だ。
「いらっしゃいませー」
カウンターを担当している店員が声をかけてきた。同じくカウンターで飲んでいた二人組は、右端に座った俺の姿を見ると近くのテーブルへ移動して行った。
「御注文があれば伺いますよ」
「ああ、そうだな・・・」
こんな場所、そうそう来るものではないな。仄かに後悔しつつ、メニューに目を通す。だが、せっかくリスクを冒してここまで来たんだ。もう二度と来ないだろうし、たまには贅沢してみようか。
「じゃあ、マステラ酒とハーブの味つきカルビを」
「はーい、少々お待ちください」
カウンターの店員が厨房へ消えていく。これだけ賑やかな空間なのに、カウンター周りにいるのは俺だけになってしまった。入り口から見て一番右奥にいた集団は、何か一山当てたらしい。店員二名が常時対応出来るように待機しており、机の上には見るからに高そうな酒と、大量の大皿がある。あっちはフベルミルゲルの酒、あれは・・・トリスタンの12年ものだろうか。
「お待たせしましたー」
カウンターの店員が酒と料理と共に戻ってきた。なんとなく、この場にいることを許されたような安堵を感じると共に、料理の香ばしい匂いが自分を取り戻させる。美味い食事は良い。いつだって人はこのために働いているようなものだ。
故郷では比較的高価な部類だったマステラ酒を呷り、ハーブの味つきカルビを齧る。これだけでも、今日ここに来て良かったと感じる。俺には聖職なんて向いていなかったんじゃないだろうか。
食事中、なんとなく顔を上げづらくて顔は見えないが、先程の店員はまだカウンターにいる。恐らく、個人客を任せられているのだろう。すでに時間も遅く、俺から逃げていった二人組も何時の間にかいなくなっていた。
そういえば、後ろの集団があれだけ食べ物を注文しているのに、俺の料理が来るのは早かったが・・・
「お口に合いますか?」
不意にカウンターから声がかけられる。先程の店員が、ニコニコしながらこちらを見ていた。
「ああ。美味しいよ。ここに来てよかったと思っている」
予期せず始まった会話でしどろもどろになりながらも、口をついて本心が出る。本当に美味しい。
「良かった。それ作ったの私なんです。」
なるほど、道理で早いわけだ。一人合点しながら、もう一口。咀嚼しながら顔を上げ、目を合わせると、自然と口の端が緩む。言葉は無くとも、満足していることは伝わるはずだ。
「君は厨房の応援に行かなくて大丈夫かい?」
食事も進み、緊張もほぐれてきたので、店員に声をかけてみる。正直、これ以上何かを注文する気はない。単価の安い客に付き合わせるのも悪いだろう。
「私、ハーブの味つきカルビしか任されていないんです。知ってましたか?その味付けはフェイヨンの秘伝料理法によるものなんです。」
「ほう、とすると・・・」
「ええ、私、フェイヨン出身なんです。」
フェイヨン。プロンテラから南西にある、なんというか・・・秘境じみたところだ。距離はそう遠くないが、田舎という認識でいいだろう。一度、付近の洞窟を浄化しに行ったことがある。
「あなたも、この辺りの方じゃなさそうですよね。」
「ああ、そうだ」
「プロンテラって余所者に対する風当たりが強いですよねー。その格好だと、色々と苦労しませんか?」
酒の力もあっただろう。プロンテラで、ずっと抱えていた孤独感が、瞬く間に萎んでいく。そこからは話も弾んだ。どこまで話しただろうか。故郷のこと、プロンテラのこと。
そうこうしているうちに、口が滑ったらしい。
「あら、プリーストさんでしたか。こんなところにいて良いんですか?」
先程までと違い、少しトーンを抑えた声。急に我に返った。碌な言い訳が思いつかない。どうしようか、同じ聖職者がここに来ることはないとはいえ、こういった噂は広まるものだ。嫌な汗が出る。
だが、店員は悪戯っぽい笑顔でこちらを見ていた。
「大丈夫ですよ。私も聖職者なんです」
一瞬、何を言われているか分からなかったが、彼女の顔から嘘や冗談といった表情は読み取れない。どうやら本当らしく、今現在アコライトであること、信仰している宗教が世俗的なことに寛容であるためここで働いていること、色々話してくれた。
今日、この酒場に来てよかった。色々な偶然が重なるだけで、先程までとは酒場の雰囲気すら変わって見えた。相手も同業者となると、更に話も膨らむというもので、声は抑えめだが色々と話した。そしてついには学が無いため転生の儀式を受けることが出来るかで悩んでいる、というところまで打ち明けた。そして、返答は意外なものだった。
「あ、私、転生してますよ」
嘘だろ。
「しかも悩みも同じでした。私もずっと鈍器で、こう、ガッてしてましたから」
ここまで偶然が重なるものだろうか。或いは、今日まで強く持っていた信仰心が、ここに来て救いの手を差し伸べたとでもいうのだろうか。
「教えてくれ。どうしたら俺は転生の儀式を受けることができるだろうか」
縋るような気持ちで尋ねる。もう、この人以外に縋れるものは無いだろう。ここが人生の岐路だ。
「そうですねー・・・私が見た感じ、あなたは今Lv95くらいですか。装備が強くないところまで私と一緒ですねwwwwウケるwwwwwじゃあキリエとニューマかけてペノメナ叩いてみたらどうでしょうかね?wwww」
※説明しよう!キリエとニューマかけてペノメナ狩りとはッ!!
ペノメナがHPドレイン以外遠距離物理攻撃しかしてこないのを活かして、ニューマと保険のキリエをかけてひたすらペノメナを殴る狩りである!!!
────説明終わり────
やばい。急に何言ってるか分からない。レベル?レベルってなんだ。というか、ペノメナと言えば何処かの地下、水場に群生する凶暴な生物だ。そんな生物を相手にするというのに、この緊張感の無さはなんだ。この人・・・何者だ・・・?
「あ、そうだ。ついでと言ってはなんですが、ウチの宗教に改宗しませんか?多分、大聖堂より気楽ですし、こっちの神様はかわいいですからね!ユエソシ教っていうんですけど、まずソシエちゃんがかわいいんですよ!このソシエちゃんストラップ(税込1300円)のこの子なんですけど」
やばい。急に早口になった。怖い。多分、この人とは生きている世界が違うんだ。逃げよう。有り金全部置いて逃げよう。
「それでね!ユエルちゃんとソシエちゃんを並べてるとね!戦闘がもう二人の世界になって・・・あ!何処行くんですか!!ちょっと忘れ物・・・じゃなかった、代金!あっこれ財布か!!えっ・・・??どうしよ、マスター!!マスター!!!」
遠のく声。こんな深夜に酒場から走って出てきたところを衛兵に見られたら食い逃げかと思われるだろう。幸いにも宿舎まで誰にも見つからず、着替えることも忘れてベッドに潜り込んだ。そう、全ては夢だったんだ。
──翌朝。俺はプリーストをやめて故郷に帰ることにした。信仰というものが何か解らなくなったこともあるし、やはり禁欲というものが合わない。そして何よりも、今はこの街とフェイヨンがとても怖い。
世の中は広い。イズルードから帰りの船に乗り、船室で荷物を確認する。相部屋の同期は「お守り代わりに」と、聖水と手紙をくれた。鞄から聖水の入ったビンを取り出すと、一緒に何かが転がり落ちた。白い布で包まれた・・・これはなんだろう?結び目を解く。
俺は思わず悲鳴を上げた。錯乱したまま船室から逃げるように走った。船員に発見されるのが遅かったら、海に身を投げていたかもしれない。
なぜなら、包みの中身は酒場に置いてきたハズの財布と、ソシエちゃんストラップ(税込み1300円)だったからだ───
0コメント